名選手必ずしも名監督ならず、とは言うけれど。

【連続投稿765日目】

 

名選手、必ずしも名監督ならず。

 

プロ野球界で言われ続けてきたジンクスみたいなものです。現役時代どんなに活躍しても、監督になったら現役時代に匹敵するような成績を上げられないことが多い。それを一言で表した言葉です。

 

これは別にプロ野球だけに限らず、どのスポーツ界、ビジネスでも同じですよね。プレイヤーとマネジャーは全く違います。どんなにプレイヤーが優秀でも、マネジメントができるとは限りません。

 

天才的な発想で新しい商品を開発する技術者が、組織をまとめる立場になったとたんその組織からは全く新商品が生まれなくなることは多々あります。

 

対策があるとすれば2つ。

ひとつは、マネジャーにならない。

もうひとつは、組織をまとめるのがうまい参謀をつける。

 

マネジャーにならない、とは、あくまでもプレイヤーとしてその道を究める。職人的な生き方。

後者は、マネジャーになっても、苦手な部分は参謀に思い切って任せる。

本田宗一郎藤沢武夫の関係。

 

どちらが良いというわけではありません。ただ一番の不幸は、参謀がいないのに苦手なマネジャー職になってしまうこと。そして、苦手だと自分では認めず、動かないメンバーにいら立ってしまい、組織の雰囲気を悪化させること。そうなると良質なアウトプットは見込めません。

 

私は完全に後者です。出来ないところ、弱いところは思い切って人に任せます。それでいいと思っています。

知ったらすぐに行動するのではなく問いを立てることが重要

【連続投稿764日目】

 

行動変革の段階構成には、5つのステップがあるそうです。
1.まずは知ること
2.探る
3.考える
4.話し合う
5.伝える
 
実は、1から3へのハードルが高い。確かに「知ること」はそれほど難しくはないですよね。本を読んだり、セミナーに参加したりすれば知ることはできます。
しかし、知っただけでは、行動は変わりません。知って行動すること、そのためにどのように自分に腹落ちさせるのか。それが大切になってきます。
 
そこで、「問い」を立てることが重要になってきます。
 
例えば、日本の貧困の実態を知ったとします。次のステップに行くとき、では「どうしてあまり知られていないのか」という問いを立てて、自分なりに解を探しに行きます。
 
その解はいわゆる仮説。その仮説を話し合い、方向性が決まったら行動に移す。
 
このサイクルをまわし続けることで、単発では終わらない継続的な行動変革につながっていくと考えました。
 
私は、知ったらすぐに行動してしまう。間のプロセスがすっぽりと抜けてしまうことが多々あります。このプロセスをしっかりと意識して、かつスピードを落とさないよう、動き続けることが大事なんだと、改めて思う土曜日の昼下がりでした。

若者とラベリングしたがる大人

【連続投稿763日目】

 

昨日は、SDGsに積極的に取り組んでいる大学2年生から、Z世代が考えるSDGsについて話を伺いました。

高校生の時に、SDGsの考える学生団体を立ち上げて活動しています。

19歳とは思えないプレゼン力、意識の高さ、考え方に参加した大人たちは一様に驚きの声を挙げていました。

「今の若者はすごい」「勉強になった」・・・

 

一方で、ゲスト参加していた高校三年生が言いました。「上の人たちは、同い年やその上の世代とつるむのではなく、もっと若い人たちと交流してほしい」

 

これは、若者から突き付けられた刃だと思います。若者から見た大人は、既存の価値観に固まっていて、自分の殻から抜け出そうとしない。そういう属性に映っているということです。

若者はすごい、といいながら「若者」とラベルを張っている時点で異質な存在としかとらえていない。そもそも、大人、若者と区別する時点で、ダイバーシティではない。アンコンシャスバイアスがどうしても働いてしまう。

だからこそ、昨日のような様々な世代が積極的に交流する場が必要なんですね。そしてそこに「大人」が飛び込んでいく。様々な世代が交流して意見を交わすことで、閉塞感が打ち破られる。

 

若者、大人と区別せず一人の人間として様々な属性の方たちと交流していくことが、持続可能な社会の実現には絶対に必要なんだと、改めて思いました。

読書会の効果とは

【連続投稿762日目】

 

自分の考えを人に伝える。インプットした情報を、頭の中で言語化して口から出す。頭の中ではもやもやした考えから言葉に変換される。

他の人が考えていることが、こうも違うのか。新たな気付きを得ることができる。どんな些細なことでも、受け止めてくれる人がいるので自分の考えに勇気づけられる。

 

一冊の本を通して、議論が議論を呼び、全く違う方向に進むこともある。そして関連する本の紹介をすることで、数珠つなぎで本の世界が広がっていく。

 

読書会の効果は、1人では得られない世界の広がりと、情報発信力が鍛えられる点にあると思っています。

この本ならこうした議論をしようかな、と思っていてもいざ始まると全く違う方向に進むことはざらにあります。でも、それが面白い。予定調和的な話で終わる読書会なんて、つまらないですよね。

 

そう、読書会はジャズセッションのようなもの。アドリブでついつい自分のさらけ出したくない過去や、本音の部分が出てしまう。こうして気付きを得ることができ、次への行動につながっていく。

 

この、行動につながる、というのが非常に大事なんですね。

そもそも、読書会に参加する時点で、行動を起こしていることになります。

 

ぜひ皆さんも読書会開催してみませんか?

オーガスタで優勝したシーンの感想を問われたふたりの回答

【連続投稿761日目】

 

社会起業家と僧侶が、参加者からの共通の質問に答える。

どんな質問でもOK。事前打ち合わせ一切なし。

参加条件は、答えてほしい質問を事前に考えておくこと。

 

ありそうでなかった組み合わせと、ユニークな企画のオンラインイベントに参加しました。

慈永(木村 信幸) さん

某IT企業のProjectManagerで、お客さまへAIやRPAなどのテクノロジーをご紹介。また、生きとし生けるもの、ペットをこよなく愛するお坊さん。人呼んで「てらリーマン」。(サードプレイスラボ 2021年1月11日イベントから抜粋)

 

磯部一郎さん

isobe-ichiro.com

 

おふたりにとって、宗教とは何か?1日でこれだけは必ずやるんだ、と決めていること。好きな歌は?好きな女性のタイプは?今の子供たちをどう思うか?早起きしたいんだけど、どうやったら早起きできるか?などなど、様々な角度から質問が飛びました。起業家と僧侶の立場から、時に戸惑い、時に苦笑いながらも丁寧に回答してもらいました。

その中で印象に残った質問がありました。

松山英樹オーガスタで優勝した直後、キャディの早勝さんがコースに向かって帽子を取ってお辞儀した。その礼儀正しさに海外メディアが称賛した」ことについて、どう思うか?

 

でした。これに対するおふたりの回答が秀逸でした。

 

まずは磯部さんから。

何とも思わない。普通のことだし特別なことだとは思わない。サーフィンをやっていたときも海から出るときにはお辞儀していた。日本人であれば、特段素晴らしいことをやったというわけではない。
他の人でも、同じことをやっている人はたくさんいたはず。マスターズで優勝が決まったホールで、たまたま映ったから騒がれた。日本人が活躍したこと、さらに礼儀正しさが伝わったこと、日本人として二重に嬉しい。
 
慈永さん。
ホテルに泊まって、部屋に入るとき、一礼する。場というところに対して敬意を表して頭を下げる。場というのは人の思いが渦巻いている。帰る時もお世話になった気持ちで一礼、その感覚を持っていたい。
ご縁があって、たまたま人間に生まれた。もしくは、パソコンになった、せっけんになった。一回で終わる歯ブラシという運命を託されてこの世に生まれてきた。
だからこそ、時間と場所を感謝の対象にしていく。
 
他のスポーツでも球場に入る時は一礼するシーンを見かけます。人生のわずかな時間でもお世話になった場所に対して、礼節を尽くす行為はごくごく自然なことだと思います。それが称賛されることは、同じ日本人として嬉しい。人と出会って別れるときに挨拶するのと同様、場所に対しても感謝の気持ちを持つこと。
今、リアルな「場所」という感覚が薄れていますが、オンラインという仮想の場所があります。そこで同じコンテンツを共有した者同士、お互いに感謝の気持ちを持ちたいですね。
 
 
 

「科学するブッダ」を読んで。

【連続投稿760日目】

 

「自己の精神を改造することで苦の消滅を目指す、そこに仏教の本領がある」

 

「科学するブッダ」(佐々木閑著 角川ソフィア文庫 2013年)。昨日読書会を開催し、課題本として選びました。

https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80-%E7%8A%80%E3%81%AE%E8%A7%92%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8-%E9%96%91/dp/4044094470

 

著者は、京都大学工学部および、文学部哲学科仏教学専攻を卒業した異色の経歴。そのため一神教における科学と神との関係に触れた後、仏教と科学の同次元を説きます。

3分の2は物理、生物、数学の科学史であり、仏教は残り部分という構成です。しかし仏教と科学の同次元性を証明するには、3分の2をかけてでも、学者がキリスト教に支配された学問からいかに抜け出していったかを論述する必要がありました。

 

世界はこうあるべし。しかし現実を観察することで修正を迫られ「いやだけど仕方がない」。神は誠に不可思議である。つまり「ようわからん」と言って自分を納得させながらそれを受け入れる。神が作った世界と現実世界との差に違和感を感じながらも整合性を取ろうとした学者の思考プロセス。頭の中の直覚と、現実から得られる情報とのせめぎあいにおいて、直覚がが負けて情報が勝つ、そういった現象をパラダイムシフトと呼んでいます。

このように、現実世界の情報を科学に持ち込むことを著者は「科学の人間化」と称します。

 

では、なぜ仏教と科学が同次元なのか。

 

仏教は、一神教と違い、ブッダに超越性を求めない。仏陀は奇跡を起こさない。現実世界の法則性を見抜き、その法則性の中で秦の安らぎを獲得するための方法を自力で見出す。

つまり、人間中心の宗教、人間らしさが本義の宗教。科学者が神と戦い、現実世界との整合性をとって、科学においては神の支配から抜け出した「科学の人間化」と、神の超越性を認めず、人間中心の仏教。現実世界に生きる人間の視点から物事を見つめて、法則性を見出す科学と、法則性の中で安らぎを求める仏教。

 

これが、同次元だと言っています。

 

人間視点の宗教だからこそ、あいまいさがあり、様々な宗派に枝分かれしたのでしょう。悟りを得た人が、その教えを自分の言葉で語りたい。人間的な部分を抱擁する懐の深さが仏教にはあるのかもしれません。

古典は、経糸のごとく、自分を形作る。

【連続投稿759日目】

 

古典は経糸。流行は横糸。

 

古典の重要性を伝える言葉です。

自分の軸をしっかりと作る、つまり経糸をしっかり通すためには、古典を読むことが大事だよ、ということです。

 

ことわざもそうですが、歴史の荒波にそぎ落とされて、ふるい落とされて現代に残っている教えは、人間生活を送るうえで必須の考え方。自分自身の過去なんてたかだか数十年。古典は100年、200年、あるいは1000年の時を経て、今の私たちに警鐘を鳴らしてくれます。

 

学校教育で、古典というとどうしても「古文」という名の授業に変換され、当時の文法や出だしの暗記(平家物語の音読テスト、やらされませんでした?)といった方向になってしまっています。それで古典が嫌いになる人も大勢いるのではないでしょうか。

古典を楽しむ最低限の知識だけで、そこから先、先人が考えたことをどう現代に生かすか、思考の深堀をする時間がすっぽり抜けてしまっている。これは非常にもったいない。

そもそも、古典だからと言って、日本の古文だけにとどまる必要は全くない。

 

古典を読んでみませんか?