【連続投稿356日目】
9年もたつと、その日を過ぎたら話題がほとんど出なくなってしまう空気があります。
自分が体験しているだけに忘れることはありません。が、改めて振り返っておきたい。
11日の晩は、会社に泊まりました。品川駅や東京駅の大混雑、歩いて帰ろうとしている会社員の行列を見て、会社で一晩明かした方が賢明だと判断しました。電気や暖房、会議室のソファ、備え付けのテレビが
あり、無理に帰ろうとしなくて正解でした。幸い自宅や家族とも連絡が何とか取れて無事を確認できたことも、安心材料でした。
12日は電車運転再開の連絡を受けて、帰宅。ところどころビルの壁がはがれて、通行止めの個所を避けながら駅へ。当然改札に入れない大行列でした。
しかし、皆さん整然と並んでいる。
自分たち以上に被災地は苦しんでいる。たかだか駅の行列くらいで文句なんか言えない。生きているだけで 感謝しなければだめだ。
こうした思いが皆さんの胸に去来していたんだ と思います。
しかし、その瞬間にも福島第一原発では全電源喪失、炉心溶融、ベ ント準備が進んでいました。
12日15時36分、1号機の原子炉建屋が水素爆発。
津波の被害ばかりに目がいっていましたが、被害の潮目が変わった印象を持った記憶があります。