天は自ら助くるものを助く、の意味に違和感を感じた件

【連続投稿420日目】


ふと、小学校の卒業アルバムを開いてみました。

そこに校長先生からの送る言葉として
「天は自ら助くる者を助く」

と書かれていました。その校長先生が小学校を卒業した40数年前に当時の先生から同じ言葉を送られたそうです。今から考えると70年近く前になりますね。


小学校を卒業してから、数知れずアルバムをめくり、この言葉を見てきました。正直あまり響くことは
なく、こんな言葉もあるんだな、程度でした。


改めて意味を書きます。
「人に頼らず自分自身で努力する者には、天が助け幸福をもたらすこと。」


「自助論」(サミュエル・スマイルズ)では、この言葉を基本として人生を説いています。


自助論では、外部からの援助は人を弱くする。自分が自分の最良の援助者になるべきだ、と説いています。


自分の幸福や成功についての責任は、自分自身がとるというのはわかります。しかしその途中過程まで人に
頼らず自らの力で・・・というのが本当に良いのでしょうか。


チャンスの神様は前髪しかありません。その神様が通り過ぎてからでは遅い。
もっと言えば、チャンスの神様が通る場所を探して、あらかじめ準備している人の前に
神様は通ってくると思っています。


棚から牡丹餅。牡丹餅が落ちる場所に自分がいるからこそ、落ちてきた餅を捕まえることができる。


こうして考えたら、チャンスをものにできるかどうかは自らの努力次第、とも言えます。


しかし、その場所にいるために様々な形で人から助言を求められたり、人に助けを乞うこともあるでしょう。人に頼らず、自分一人でということは難しいのではないでしょうか。


特に今では、SNSで簡単に情報を入手することができる時代。SDGsゴール17でもパートナーシップを謳っています。ましてやスピードが重視される時代、人に頼らず悩んでい時間を費やしている間に環境はどんどん変化していきます。


「人に頼り、人とつながる努力をするものには、天が助け幸福をもたらす」


私はこう解釈したいです。