心の持ちようでしあわせになれる、仏教の教え。

【連続投稿542日目】

IT企業に勤務しながら、真言宗のお坊さん。異色の経歴をお持ち の「テラりーまん」慈永さんのお話を伺いました。

 

「コロナの時代を生きやすく」

こう題していましたが、仏教の教えは飢饉や戦争に直面するたびに、人々の心のよりどころとなってきました。だからこそwithコロナの時代、 多くのヒントがお話の中に詰まっているのだろうと期待していました。

 

そして、期待通り、いや期待以上の内容でした。

 

2500年前から世の中は変わった。諸行無常の中にあって、変わ らないものはない、と言われています。しかし、人間の心の仕組みは実は、何一つ変わっ ていません。

 

日本は、GDPが第3位ですが心の豊かさランキング第62位。この現実を考えて、「みなさんはしあわせですか?」と優しく問いかけてきます。

 

しあわせに近づくためには、心の仕組みを理解することと話を続けます。

ひとは、教わったように生きます。逆に言えば教わったようにしか 生きられません。そして社会に出て経験します。
  

教わった生き方を実践した結果、周りから良し悪し含めて評価を受けます。教わったことと違えば、その結果悩み、苦しみます。

  

当たり前のことです。だって教わったことを実践しただけだから。

 

自分は何も悪くないのです。教わった通りにやっただけですから。 教えた方が悪いのです。

なぜ自分が悪いのか。ここで足を止めている人が多い。原因の追及でぐるぐる回っている人が多い。しかし足を止めないでほしい。人から教わったからこう なったんだ。それだけの話です。まずは、私を赦すことです。

 

しあわせじゃない出来事は、自分の外からやってきます。とうことは、自分がしあわせであれば、他人を不幸にはしません。

 

これは、まさにペイフォワード、恩送りの考え方ではありませんか !

ここでも出てきましたペイフォワード。今年は、様々なコミュニテ ィで多くの方からこのニュアンスを聞きます。まさか仏教の話を聞きながら恩送りが出て くるとは。

 

悟りとは「差取り」。自分のしあわせと、他人のしあわせの差を取 ること。重ね合わせること。

 

「志」とは、心をひとつにつきさしていくこと。他人のしあわせを考えていくことに、自分のしあわせを寄せていくこと。

 

コロナだからこそ、いやコロナに限らず、変わらないこの真理を見つめなおし、しあわせに生きましょう。

こうした思いが込められたメッセージ。日頃考えて行動していることを仏教面からも担保いただいたことが、本当にうれしく、自信になりました。