避難指示区域は、現代日本唯一で最後のフロンティア

【連続投稿667日目】

 

昨日、福島復興に関するオンラインセミナーに参加しました。南相馬で起業された、同年代の経営者から復興にかける想いを伺いました。

地域の100の課題から100のビジネスを創出する」これをミッションとして掲げています。
 
事業の核はコワーキングスペース。帰宅困難区域だった場所で、ようやく人が戻ったとしても全盛期には遠く及びません。なぜそうした状況で、人がいることが前提のコワーキングスペースを立ち上げたのか。そこには、ある思いがありました。
被災地の小高見学を避難先住居の会津若松からアテンドしていたそうです。見学者は被害状況にびっくりし、熱量が高まり復興支援したいと言います。しかし家に戻ると熱量が冷めてしまう。そこで、物理的に物事を生み出すワークスペースが必要だと考えたそうです。小高にそうした場があれば、熱量が冷めない拠点となる!
 
これって、需要の創造ですよね。まさしくドラッカーの実践じゃないですか。
 
まずは場所を作る。そこに人が集まる。
 
最初に何をやったか。当時5000人ほど除染作業している人がいた。食事する場所が困っていた。そこでラーメン屋さんが避難して空いていたスペースを使い、食堂を作ったそうです。こんな場所で食堂作っても誰も食べに来ない、さんざん言われたそうです。ふたを開けてみると、相当繁盛したことは想像に難くありません。
 
 
次にやったのが、若い人をどうやって帰還してもらうかでした。周りはどうせ帰ってきても若い人がいないとすぐ町はダメになる、と悲観的になっていました。そこで何があれば若者が返ってくるか。これを起点として発想し、若者が魅力と考える仕事をつくれば若者が返ってくるのでは?と思い至ります。
後継不足で悩んでいた職人と一緒になり、アクセサリーを作る仕事を創造しました。
これにより若手や女性が戻り始めたそうです。
 
避難指示区域は、現代日本唯一で最後のフロンティア。
 
その経営者はこう語りました。
 
避難区域での事業、なかなかイメージがわかない。今までの価値観の延長線上に、持続可能、理想の社会は存在するのか?飽和、余剰、行き詰り、国や行政に依存・・・
 
 
避難区域は、なにもない。だったら新しく作るしかない。
余白がある。ということはのびしろがあること。既存の社会にとらわれない自分たちが暮らしたい社会を作りたい、と胸を張って主張されていました。
 
こうした思いを持っている経営者と今後も交流を図っていきたいと思った時間でした。