【連続投稿760日目】
「自己の精神を改造することで苦の消滅を目指す、そこに仏教の本領がある」
「科学するブッダ」(佐々木閑著 角川ソフィア文庫 2013年)。昨日読書会を開催し、課題本として選びました。
著者は、京都大学工学部および、文学部哲学科仏教学専攻を卒業した異色の経歴。そのため一神教における科学と神との関係に触れた後、仏教と科学の同次元を説きます。
3分の2は物理、生物、数学の科学史であり、仏教は残り部分という構成です。しかし仏教と科学の同次元性を証明するには、3分の2をかけてでも、学者がキリスト教に支配された学問からいかに抜け出していったかを論述する必要がありました。
世界はこうあるべし。しかし現実を観察することで修正を迫られ「いやだけど仕方がない」。神は誠に不可思議である。つまり「ようわからん」と言って自分を納得させながらそれを受け入れる。神が作った世界と現実世界との差に違和感を感じながらも整合性を取ろうとした学者の思考プロセス。頭の中の直覚と、現実から得られる情報とのせめぎあいにおいて、直覚がが負けて情報が勝つ、そういった現象をパラダイムシフトと呼んでいます。
このように、現実世界の情報を科学に持ち込むことを著者は「科学の人間化」と称します。
では、なぜ仏教と科学が同次元なのか。
仏教は、一神教と違い、ブッダに超越性を求めない。仏陀は奇跡を起こさない。現実世界の法則性を見抜き、その法則性の中で秦の安らぎを獲得するための方法を自力で見出す。
つまり、人間中心の宗教、人間らしさが本義の宗教。科学者が神と戦い、現実世界との整合性をとって、科学においては神の支配から抜け出した「科学の人間化」と、神の超越性を認めず、人間中心の仏教。現実世界に生きる人間の視点から物事を見つめて、法則性を見出す科学と、法則性の中で安らぎを求める仏教。
これが、同次元だと言っています。
人間視点の宗教だからこそ、あいまいさがあり、様々な宗派に枝分かれしたのでしょう。悟りを得た人が、その教えを自分の言葉で語りたい。人間的な部分を抱擁する懐の深さが仏教にはあるのかもしれません。