パラリンピックから気付いたこと。

【連続投稿889日目】

 

両腕がないのに、全身を使って背泳ぎする姿。様々な障がい度合いに応じてそれぞれのポジションでできることを全力で行う車いすラグビーやバスケットボール。工夫された道具もさることながら、我々が知っている人間の可能性なんて、実はほんのちょっとの部分しか知らないのではないか。

 

そう思わせてくれるパラリンピック。今までは、オリンピックが終わればテレビでほとんど取り上げることが無かったパラリンピック。自国開催だからこそ盛り上げようと必死になっている側面はありますが、それでも初めてと言っていいほど目にするパラアスリートが活躍している姿。

 

制限がある中でも、全力を出し切ろうと必死になっている姿って、美しいですよね。これは何にでも言えることです。

 

そもそも、「障がい」ってなんでしょうね。健常者ってなんでしょうね。結局はひとりの人間。そこにあるのは個体の違いだけなのではないでしょうか。自分と全く同じ人がいたら、それはクローンになってしまいますから。

 

たった数メートル泳げないからといってあきらめてしまう「五体満足」な人と、両腕がなくても必死に努力して100m泳げるようになった人。はたしてどちらが障がいを持っている人でしょうか?もはやわからないくなってきます。

 

いや、それでいいんだと思います。人が便宜上決めた分類。であれば、それを取り払うことができるのも人。

 

多様性なんて、当たり前なんです。人はみんな違うんですから。

 

無観客でもパラリンピックを見ることで、多様性を前向きに考えることができました。それだけでも私は意義があることだと思っています。