自己犠牲と宗教

【連続投稿1029日目】

 

読書会の課題図書になっているため、三浦綾子の「塩狩峠」を読み直しています。最初に読んだのは5年以上前でしょうか。衝撃的な本で身震いしました。

今回読みなおしていると、一冊の本が頭に浮かびました。「レ・ミゼラブル」。

www.amazon.co.jp

レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫) | ユゴー, 朔, 佐藤 |本 | 通販 | Amazon

 

共通するのは自己犠牲。そしてキリスト教と信仰心。

 

人はどこまで自己犠牲できるのか。親が子供を育てるとき、そこに見返りは求めない。無償の愛をこれでもかと注ぎます。子供のためなら、自分の体を犠牲にしてでも守ろうと思う。

しかし、見ず知らずの他人に対してならどこまでそれができるのか。

 

自分は、Giveのマインドを持とうと意識しているとはいえ、果たしてどこまでGiveできるのか。

その限界値はどこなのか。宗教心があれば、自己の限界値を越えられるのか。

考えれば考えるほど、悶々としてしまいます。

 

この点はもう少し整理してから改めて書こうと思います。