拡散と収れんの繰り返し

【連続投稿546日目】

 

中小企業診断士になってから、出会う人の数が爆発的に増えました。サードプレイス活動を行うようになってからは、増加スピードがさらに加速しました。

 

爆発的に増えても、ある程度活動が決まってくるとそのスピードは緩やかになります。活動をやっていく中で、新しい話があればそれに挑戦する。そうするとまた新しい出会いがある。この繰り返しですね。

 

その時々の状況により、注力する活動は変わってきます。以前力を入れていたものの優先順位が下がることだってあります。ただ、決して縁が切れたわけではありません。状況が変わればまたその活動の優先順位が上がることだってあります。

 

アメーバのように、体を広げたり縮めたりしながら移動することで様々なコミュニティに参加しています。

 

拡散と収れんを繰り返しながらです。前進しながらも一周まわってきてまた同じ場所にもどる。その時はさらにレベルアップする。スパイラルアップしているイメージです。

 

 

「思考の整理学」を読んで考えたこと。

【連続投稿545日目】

 

帯のコピーがが気に入らないので、手に取らない。こうして読まず嫌いになってしまう本があります。特に「東大・京大で一番読まれた本」なんて、あまのじゃくな私にとっては最も避けたいコピーです。

 

それでも読書会の課題図書として自ら選んだので、今回初めて読みました。

「思考の整理学」。2020年7月30日、享年96歳で死去した外山滋比古さんの追悼の意味も込めて選書しました。

 

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まずこの本が出版されたのが1983年。37年前の事実に驚きます。アナログ的な思考整理法をデジタルに置き換えて、コンピュータをAIに変えたら、現代でも全くそのまま通じる内容です。

また、37円前から警鐘を鳴らしている受け身の知識偏重型教育から自ら考えて行動する飛行機型への転換。その当時から何も変わっていないのでは、と思わずにいられませんでした。著書で批判しているグライダー型人間の象徴でもある東大、京大で一番売れたという皮肉は置いておきます。

 

またこの当時から、人と人との触媒やセレンディピティをもたらす「弱き紐帯」の重要性を訴えています。つまりはサードプレイスです。

 

読書法にしても、読んで終わりではなく、そこから自分なりに解釈して行動する「汗のにおいのする思考」と表現して、その大切さを訴えています。

 

おそらく現代ナイズされた内容にすれば「コロナ時代を生き抜く思考法」などといったタイトルで出版されてもおかしくはないでしょう。

 

しかし突き詰めていけば、結局は「思考を整理すること」なんですね。

ちなみに、製造現場でよく使われる改善手法に5Sがあります。整理、整頓、清掃、清潔、躾。それぞれの頭文字を取って5Sと称しています。

最初の「整理」は、いるものといらないものを分けて、いらないものは「捨てる」。

「思考の整理学」でも、すてる、忘れることで脳が新陳代謝されると書かれています。

知識を定期的に棚卸することで新陳代謝し、新しい発想を生み出すための方法論として

古典となっている理由がよくわかりました。

 

改めて、読まず嫌いはよくない、と反省する次第です。

人間の本質は変わらない。自分の軸を見つめなおす良い時期。

【連続投稿544日目】

 

コロナ禍になって、オンラインで様々なセミナーに参加する機会が急増しました。立場、地域を越えて画面上ではフラットな関係でいろいろな方とお話をする貴重な時間を過ごしています。

 

逆境に直面した時、人が考えることに大きな違いはない。これがここ数か月経験した感想です。

 

当たり前と言えば当たり前ですよね。感染症という共通の脅威にさらされて、日本中どこでも同じような制限を受けている中、考えることは似たようなものになります。

 

・人間の本質は昔から変わらない。

・だからこそ、歴史に学ぶべき。

・危機に直面したときこそ、新しい発想が生まれる。

・しかし、すべてが変わるわけではない。変わらないものこそ大切にすべき。

 

おおよそこうしたことが、話者が違えど多くの方が話題にした内容でした。

 

突然危機に直面したから、急にアイデアが湧いてきたわけではない。共通認識として考えていたけど優先順位が低く、話題にならなかっただけでしょう。価値観を揺さぶる出来事により、一気に表出したのだと思っています。

議論百出する中で本質を見極め、自分が進む方向、軸をしっかり作るには良いタイミングだと思っています。

 

 

ブログネタの書き留めはしません。

【連続投稿543日目】


毎日のブログ、ネタを書き溜めているんですか?とよく質問されます。

 

書き溜めることは、しません。

  

極力、その時考えたこと、前日の出来事、参加したイベントの感想などを備忘録、議事メモ的に書いています。自分自身の中にある旬なネタ をそのまま書いているので、むしろ書き溜めは出来ないのです。

  

考えていることがいくつかある場合、ブログに書けそうかどうかを 判断します。つまり自分の腑に落ちているかどうか、です。腑に落ちていない考えを書くことで頭の整理につながることもあります。ただ短時間で要点をまとめて書こうとすると腑に落ちていない考えは書きにくい。


その点、書き溜めするなら、じっくりと掘り下げたり、試行錯誤し たり、関連情報のリンクを貼ったりと工夫をするでしょうね。

 

唯一の例外は、書き溜めても本質が失われない内容と時期、特に年末年始。この時期はおおよそ1年の振り返り、新年の目標を書くことになるので、ある程度事前に準備しています。

  

毎日何かしら考えているので、ネタに困ることはない、というのは嘘です。絞り出すこともあります。ネタが尽きた、どうしようと焦る時もあります。

ただ、そうやって考えていると、何かしら舞い降りてきます。頭の中にある古くてさびた引き出しが、前触れもなく突然開いたようなイメージかもしれません。

  

それは小学生の頃経験したことだったり、昔読んだ本の話だったり 。今日の自分は、昨日までの経験の総和なんですよね。

 

だからこそ、来るべき明日のために、今日という日をしっかり生きたいと、書きながら思うのです。

心の持ちようでしあわせになれる、仏教の教え。

【連続投稿542日目】

IT企業に勤務しながら、真言宗のお坊さん。異色の経歴をお持ち の「テラりーまん」慈永さんのお話を伺いました。

 

「コロナの時代を生きやすく」

こう題していましたが、仏教の教えは飢饉や戦争に直面するたびに、人々の心のよりどころとなってきました。だからこそwithコロナの時代、 多くのヒントがお話の中に詰まっているのだろうと期待していました。

 

そして、期待通り、いや期待以上の内容でした。

 

2500年前から世の中は変わった。諸行無常の中にあって、変わ らないものはない、と言われています。しかし、人間の心の仕組みは実は、何一つ変わっ ていません。

 

日本は、GDPが第3位ですが心の豊かさランキング第62位。この現実を考えて、「みなさんはしあわせですか?」と優しく問いかけてきます。

 

しあわせに近づくためには、心の仕組みを理解することと話を続けます。

ひとは、教わったように生きます。逆に言えば教わったようにしか 生きられません。そして社会に出て経験します。
  

教わった生き方を実践した結果、周りから良し悪し含めて評価を受けます。教わったことと違えば、その結果悩み、苦しみます。

  

当たり前のことです。だって教わったことを実践しただけだから。

 

自分は何も悪くないのです。教わった通りにやっただけですから。 教えた方が悪いのです。

なぜ自分が悪いのか。ここで足を止めている人が多い。原因の追及でぐるぐる回っている人が多い。しかし足を止めないでほしい。人から教わったからこう なったんだ。それだけの話です。まずは、私を赦すことです。

 

しあわせじゃない出来事は、自分の外からやってきます。とうことは、自分がしあわせであれば、他人を不幸にはしません。

 

これは、まさにペイフォワード、恩送りの考え方ではありませんか !

ここでも出てきましたペイフォワード。今年は、様々なコミュニテ ィで多くの方からこのニュアンスを聞きます。まさか仏教の話を聞きながら恩送りが出て くるとは。

 

悟りとは「差取り」。自分のしあわせと、他人のしあわせの差を取 ること。重ね合わせること。

 

「志」とは、心をひとつにつきさしていくこと。他人のしあわせを考えていくことに、自分のしあわせを寄せていくこと。

 

コロナだからこそ、いやコロナに限らず、変わらないこの真理を見つめなおし、しあわせに生きましょう。

こうした思いが込められたメッセージ。日頃考えて行動していることを仏教面からも担保いただいたことが、本当にうれしく、自信になりました。

あなたはどのような場面で仮面を外すことができますか

【連続投稿541日目】

 

「あなたはどのような場面で仮面を外すことができますか」

 

仕事やプライベートで多くのコミュニティに属していると、出会う相手によって複数の顔を持つことになります。しかし、それが全て本当の自分だと言えます。9月1日に同じようなテーマで「分人」について書きました。

 

blog.hatena.ne.jp

 

人間は他人の顔色をうかがいながら、本当の自分と表面的な自分を使い分けて生きていくしかない、ということではありません。

たった一つの自分など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て本当の自分なんです。

 

私は冒頭の質問にこう答えました。「仮面を外すことはない」と。

 

Aの仮面をつけている自分、Bの仮面をつけている自分、寝ていながら、寝言でなんか言っている自分、きっと違う仮面をつけているのでしょう。それらすべてが本当の自分を形成するひとつの要素なのだろうと思います。

 

それでも・・・心のどこかで、仮面をつけずに生きていける人をうらやましく思う自分がいることも事実です。

2つ上の階層から物事を考えろ

【連続投稿540日目】

 

2階層上の立場に立って、物事を考えろ。

 

昔の上司からよく言われました。仮に一般社員、係長、課長、部長の役職があったとしましょう。現在一般社員であれば課長の立場で係長だったら部長、部長だったら役員もしくは社長の立場で、今やっている仕事を考えてみなさい。

 

そうすると、今の仕事を俯瞰して見ることができる。仕事の前後、つながり、過去、現在、未来が見えてくる。そこに見えない解決の糸口や新しい進め方のヒントが隠れている。

 

おおよそこのような意味でした。

 

高度10メートルか、高度100メートルか、もしくは高度10000メートルか。視点をどの高さにもっていくか?

 

と問いかけられたこともありました。意味合いはほぼ同じですね。

 

人によって表現の違いはあれど、視点の高さ、上げ下げを意識する大切さを教えてくれました。

 

今となっては過去のこうした言葉一つ一つが財産となっています。