自己基盤、人間の器

【連続投稿1142日目】

 

人間の器。自己基盤とも言います。人間力と言い換えてもいいでしょう。

だれもが器は持っています。それがおちょこかもしれないし、どんぶりかもしれない。プールくらいあるかもしれない。それを大きくすることは可能です。逆に言えば、常に研鑽を積まないと、器は小さくなってしまうでしょう。

 

大きくするために何をすればよいか。

 

まずは、自分自身を理解すること。そして、その自分を認めること。認めた自分を開示すること。

 

過去失敗して恥ずかしい思いをした自分や、どうしても向き合いたくない自分っていますよね。そうした自分自身と向き合い、自分自身を抱きしめることができるか。

 

「自分を愛することは人を愛すること。」こんなに素敵な言葉をおっしゃった方がいました。

自分を愛することができないで、人を愛することはできません。結局これも自己基盤の大きさ、深さ、厚さにつながっていくということです。

 

 

自分を俯瞰的に、客観的に見るために。

【連続投稿1141日目】

 

人がやることに対して指摘はできるけど、自分自身については甘くなってしまう。もとい、客観視できないため、どうしてもやるべきことができずに、ズルズルいってしまう。

 

こんな経験したことありませんか。人に厳しく、自分にはもっと厳しく。これが理想だと考えてはいますが、なかなかその境地に至ることができていません。

 

緊急度が低く、重要度が高い領域をいかに行っていくか。

 

そのための手段はいくつかあります。

まず、コーチング。自分が考えてもいないような角度から、コーチが様々な質問をしてきます。かなり深い問いかけに対して考えることで、自分自身を客観視することが可能となります。そして新たな気付きを得ることができます。自分で気づいて、「やろう!」と思うので自発的な行動につながりやすくなります。

 

もうひとつが、読書会。ひとつの本を読んで感想を述べあうことで、思考訓練になります。また自分の意見に対して他の方からフィードバックをもらい、自分の考えがブラッシュアップされていきます。同じ本を読んでいても他の方は「こう考えているんだ」と新たな気付きを得ることができます。

 

共通しているのは、人と人との対話。そして、他人を受け止める受容力。

どんなに人から素敵な意見をいただいても、角度のある質問をもらっても、受け止めて考えることができなければ、自分を客観視することはできません。

 

自分を俯瞰して、客観的に見ることができたら、新しい自分が発見できますよ。

尊敬と崇拝

【連続投稿1140日目】

 

崇拝と尊敬。この違いについてこの前話をする機会がありました。

 

崇拝。

宗教のように、ある人の思想や振る舞いに傾倒して、信仰するように崇めること。対象が神様になってしまうこと。

 

尊敬。

ある人の経験、人格や見識などを、優れたものとして敬うこと。対象はあくまでも人であり、目標としたい人、目指したい人。

 

どうしても崇拝となると、対象者に依存してしまう印象があるのか、良い意味でとらえられないようにも思います。確かに、崇拝の類義語には、妄信、心酔、狂信などがあります。

 

主体性がなくなってしまうと崇拝になってしまうのかなと思います。

 

尊敬と崇拝の境目はどこなんでしょう。

対象者が目標とする人から、神様のようになるのはどういったきっかけなんでしょうか。

 

正直答えを持ち合わせていません。それがダメなことなのかもわかりません。

 

私が大好きな安室奈美恵。崇拝しているのか、尊敬しているのか・・・

 

やはり尊敬なんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

目は俯瞰的に、心は寄り添う姿勢で。

【連続投稿1139日目】

 

自分達が考える常識は、人から見たら非常識。このブログでは何度も書いていますが、どうしてもこの発想が難しいんだという事態に直面しています。

 

なぜ難しいのか。それは自分達の世界にどっぷりつかっている人ほどその傾向が高いと、肌感覚で感じています。業界、ひとつの組織など。「我々の業界は特殊だから」と言い訳をして、改革をしようとしない人を良くみます。

 

そこは、物事を一般化させる。視点をずらして物事を考えてもらう。こうした問いかけをすることが必要となってきます。問いかけをする人が客観的に物事を見ることができているのが条件となりますが。ここは目は俯瞰的に、心は寄り添う姿勢で。

 

自分自身含めて、えてして発想がたこつぼ的になってしまいがち。そんな時は第三者の視点から気付きを促してもらうことが、非常に有効となります。

 

ただ、どうしても原理原則的に自説を曲げない人はいます。話し合いが難しい人もいます。最終的には外れてもらうことも考えたほうが良いでしょうね。ドライな考えかもしれませんが、物事を遂行させるためのやむを得ない措置と考えて、割り切る。

三者視点が、邪魔だと言われて自分が外されるなら、その組織とは縁がなかったということです。

 

 

想いと行動を結び付ける

【連続投稿1138日目】

 

将来に向かってやりたいことがある場合、ご自身の事業計画的なものをつくっていますか?

漠然とやりたいことがあって、それに向かっているつもりでも、バックキャスティング思考で改めて考えた場合、必ずしもその行動が優先順位が高くないかもしれません。

 

会社では事業計画を策定して、その進捗を確認することが経営管理として必要となっています。

個人も同じことをやったほうが自分自身がなりたい姿に向かって、進んでいる感じを持つことができます。今の行動に迷いがなくなってきます。

 

イチローさんや、大谷翔平選手がこの点非常に優れています。実践している人がすごいから、自分にはできないと思っていませんか。

 

決してそんなことはありません。「妄想すればもうそうなる」と言った方がいました。

「夢はかなうんです」と断言した方もいました。

想いと行動を結び付けるためにも、うまくコーチングを利用してくれればよいと思っています。

 

 

 

自分で解決できるものも人に頼んでみる

【連続投稿1137日目】

 

なんでもかんでも、自分で解決しようとしない。自分でやったほうが早い領域もあるでしょう。でもそうした仕事は我流になりがち。あえて人に頼んで、他の人がどのようにその仕事を進めていくのかを見て、自分に足りない点を学ぶ意味でも、あえて人に頼んでみることも必要だと思っています。

 

人それぞれ、仕事にはクセがあります。それを修正することでより生産性が高まるなら、少々費用が掛かっても学ぶ時間を設けてもよいと思い始めています。

 

もちろん、自分自分が苦手な領域は、どんどん人に頼めばいい。

 

常に学ぶ姿勢って大事だと思っています。自分自身の仕事を客観的に見つめ直して、次につなげる。いまさらこんな講習を受けなくてもいいのに。と思うような人でも謙虚に学んでいる方がいる。そんな姿勢に、感服する次第です。

結果が全てではない。

【連続投稿1136日目】

 

結果も大事ですが、プロセスはそれ以上に大事。

 

以前までの私は結果至上主義でした。結果が全て。どんなに良い試合をしても負ければ何の意味もない。と割り切っていました。

 

しかしある人から、「エベレストに上る時、どんな準備をしますか。登頂に挑戦する日、悪天候で登れず断念した場合、それまで準備したことは本当に無駄になりますか?」と問いかけられて、ふと気づきました。

 

結果を出すために準備を入念にして、想定外も想定して本番に挑むわけです。そこでどうしても自分自身の力が及ばない不測の事態が発生しても、それまで準備したことは決して無駄にはならない。経験を積んだ時点で、さらに人間としての厚みは増しているはずだからです。

 

だからといって、結果にこだわらないことにはなりません。もちろん結果を出すためにベストを尽くします。しかしそれが伴わない場合は、素直に受け止めて次に活かすようにする。ごくごく当たり前ですが、点ではなく、線、さらに面としてとらえることで、次はそれ以上の結果を生み出すことができるようになる。

 

そのように発想を切り替えたら、気持ちが非常に軽くなりました。