考えると悩むの違い

【連続投稿134日目】

 

「考える」と「悩む」の違いって、何でしょうか?

「経営者の孤独。」(土門蘭 22019 ポプラ社)を読んでいて、複数の経営者に投げかける質問です。

それぞれ答えが違うのであえてここでは紹介しません。自分なりに考えてみたいと思います。

 

いつものごとく、語源から調べてみます(いずれも諸説ありです)。

「考える」

文語ではか‐むかふ。最初の「か」は「住処(すみか)」「在処(ありか)」などの「か」で、場所を示す言葉。「むかふ」は、二つの物事を向かい合わせにする、両者を向かい合わせる、という意味だそうです。

 

「悩む」

ナエヤム(萎病)の義。ナユ(萎)の転。ナユ(萎)と同根。脳病むの義。
ナヤム(直止)の義で、ナカコ(心)のヤム(病)の中略。ナエアム(萎編)の約。
ナヤミはナガヤミ(長病)の意からの転?

いずれにしても、萎える、病む、というメンタル的に落ち込むようなイメージが伺えます。

漢字の成り立ちでは心と頭を組み合わせた字だそうです。

 

語源から分かることをまとめてみました。

「考える」は、目標に向かって課題を解決するために、様々な方法を比較するプロセス。

「悩む」は、目標がなく、深みにはまって気持ちが萎えてしまっている。それに伴いやる気も起きない状態。

 

実は似たような言葉でも全く意味合いは違いますね。

 

著書の中である経営者は答えています「事業を行う上で、考えることがあっても悩むことはない」「悩むということはない」

 

語源から考えると、経営者の深層心理に少しでも近づくことができるかもしれません。