1899年、慶應義塾にラグビーが伝わった。

【連続投稿207日目】

エドワード・B・クラークと田中銀之助。

この二人が、慶應義塾ラグビーを伝えました。1899年のことです。

クラークは、横浜生まれ。在日外国人向け私塾を卒業後ケンブリッジ大学に留学、そこでラグビーに打ち込みます。帰国後慶應義塾で、英語教師として働く傍ら、ラグビーを塾生に教えていきます。

 

田中銀之助。現在の開成中学に一次在籍、その後学習院中等科へ。留学準備のためにクラークが通っていた在日外国人向け私塾に入学します。そして、ケンブリッジに留学。帰国後は実業家の道へ進みながら、クラークと共に慶應義塾ラグビーを教えていきます。

 

ちなみに、早稲田は1918年創部、慶應義塾、京都三高、同志社に次ぐ4番目。明治は1922年創部。

歴史を掘り下げると、ワクワクしてきます。