【連続投稿506日目】
長崎県に生まれた者としては、どうしても避けて通れない、いや避けてはいけない日がある。
8月9日 11時2分。
75年前投下された、たった一発の原子爆弾。人口24万人の街で、7万4千人以上が死亡した。
第一目標は福岡県小倉市。しかし天候が悪く第二目標の長崎市に変更された。
ただ、長崎市も積雲で覆われていたそうだ。目視で街が視認できない以上投下してはならぬ。その際は太平洋に廃棄しなければならなかった。
しばらく巡回している瞬間、わずかだが雲の隙間に長崎市が視認された。
本来の目標地点である市街中心地から逸れていたものの、松山町上空500メートルでそれはさく裂した。
そこは今平和記念公園となっている。原爆落下中心地のモニュメントが飾られている。
70年は草木が生えてこないと言われた長崎の街は復興した。しかし広島、その他の戦争体験者と同様記憶の風化は避けられない。
先人たちの犠牲の上に今の繁栄を享受している。改めてその事実をかみしめて、受けた恩を、次世代に正しく送ることができるだろうか。
そこに持続可能な社会の本質があるように思えてならない。