哲学こそ必須科目にしたほうが良い

【連続投稿922日目】

 

哲学こそ必須科目にしたほうが良いと常々思っています。ビジネスパーソンならなおささら身につけたほうが良い。理由は3つあります。

 

(1)哲学はクリティカルシンキングである。

ビジネスマンが身につけるべき思考法のひとつに、クリティカルシンキングがあります。批判的思考と訳されますが批判することが目的ではありません。物事の前提条件を検証し、その事象の本質を見極めることです。よく健全な批判と言われるゆえんです。

哲学は、世界はどのように成り立っているのか。我々人間はどのように生きていけばよいのか、を問い論考する学問です。物事の前提を疑い、本質をあぶりだすためには健全な批判が必須となります。そのため、哲学を学ぶことは、クリティカルシンキングを学ぶことにつながっていきます。

 

(2)哲学はなぜなぜ分析である。

トヨタ生産方式を構成する代表的な改善手段に、なぜなぜ分析があります。問題が発生した際に、対策を立案するため要因はなにか、「なぜ」を繰り返していく方法です。5回なぜを繰り返せば真因にたどり着くと言われています。

哲学も同じです。なぜこれをやっているのだろう。なぜ人はこのように考えるのだろう。と洞察していくことで、日頃何気なく行動している「当たり前」を疑い、その根源的な意味をなぜなぜなぜ・・・と考えていくプロセスだと思っています。

 

(3)哲学は生き方そのものである。

物事を整理するために「過去・現在・将来」の視点で考えることがありますよね。このフレームワークで考えるとき、どうしても思い出してしまう絵画があります。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。フランスの画家ポール・ゴーギャンの有名な1枚です。薄暗い青をベースとして全体的なトーンが暗く、退廃的な印象すらも受けるため、絵そのものにそれほど惹かれるわけではありません。ただ、タイトルは秀逸だと思っています。

また、鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクの言葉、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」は、他人の過去から、現在の自分の生き方と将来の方向を考えること。ここにも、過去・現在・将来の連続性を考える必要性が謳われています。

もうひとつ、コロナ禍の不条理の環境において、人は自らができることは何かを考えて行動していく。まさに「一隅を照らす」。こうした生き方が我々ひとりひとりに求められているのです。

その意味において、哲学は先人が様々な困難にぶち当たった際に、もがき苦しみながら心理を追求し、昇華させて歴史の評価にさらされながら凝固されたものです。心配や不安が尽きない混迷した状況下では、先人の知恵が詰まった哲学にこそ、その解があるといっても過言ではありません。