【連続投稿368日目】
読書会を開催しました。課題図書は「魔女狩り」(森島恒雄 岩波新書 1970)です。もともとこの本を知るきっかけになったのが、以前にもご紹介した岩波新書の芋づる式でした。
中世の魔女狩りを起点にして、どういった議論が展開されるか非常に楽しみでした。
ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF) https://www.amazon.co.jp/dp/4150502226/ref=cm_sw_r_other_apa_i_o0BEEbBT5T5CW
で有名な、動物行動学者のコンラート・ローレンツ。動物は無限の殺戮をしない。
栗本慎一郎は「パンツをはいたサル」で人間の本質を見事に描いている。
さらに、「暴力はどこからきたか」でも人間性の起源を探ることができる。
https://bookmeter.com/books/376918
このように、皆さんが持っている知見を紹介しながら人間の本質を議論していきました。
一神教の神が言うことだからすべて正しい。その教えにちょっとでも逆らう、従わないような言動があれば、イコール魔女だ。やってもいないことをやったと証明することができない悪魔の証明を、拷問で強引に証明してしまう怖さ。
宗教だけでなく、例えば会社を守るために不正をしてしまう、愛社精神にあふれたサラリーマンも同じ構造ではないか。
中世の魔女狩りはなんとイタリアで1793年に魔女裁判が行われた記録が残っています。もはや中世ではなく近世ですね。
しかし近現代でも、言葉は違えど似たような事件はいくらでも起きています。
同調性、同質性が高いほど、異端分子に対して許せなくなる。
そこで、ハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」によってシステムを無批判に受け入れる人々が、悪事を働く。しかしやっている本人たちに悪事という自覚はない。
以前は肉体的制裁だったが、現在の魔女狩りはメンタルの制裁ではないか。
こうした議論をへて、現代のキリスト教は魔女狩りをどのように総括しているのか、そもそもなぜ魔女狩りが突然終わったのか。その歴史的背景は何か。
この点についてもやもや感が残りました。
今回、読書会に臨むにあたり、「読書思考展開」とも呼べるオリジナルの手法を試してみました。「魔女狩り」を真ん中において、政治、経済、社会、技術の観点でどういった思考ができるか。それがこちらです。
本の写真がついているのは、読んだことがあるもの。黄色枠は未読の領域です。思考の偏りや発想がどのようにつながって、翔んでいくか、見える化されるこの手法。今後も試してみたいです。