仏教用語の自灯明(じとうみょう)から考える自分自身の軸

【連続投稿440日目】

 

自灯明(じとうみょう)。仏教用語で、自分自身を頼りとして生きていきなさい、という意味だそうです。
自分自身をともしびとして、先の見えない暗闇のような人生を歩いていきなさい。
真っ暗闇で目印になる明かりがなくても、自分を頼りとすることで自分自身がともしびとなり暗闇を照らすことができる。
誰かのともしびに頼ってしまうと、その人の明かりが消えたら自分はさまよってしまう。それは生き方として非常に危険である。
 
こんな意味合いかと思います。
 
連続投稿420日目で描いた「天は自ら助くる者を助く、の意味に違和感を感じた件」ではこの言葉の意味を「人に頼り、人とつながる努力をする者には、天が助け幸福をもたらす」と独自に解釈しました。
 
自灯明で言うところの「自分自身を頼りとして」は、自分なりの判断基準をしっかり持ちなさい、ということだと理解しました。
ぶれない軸、判断基準、行動基準があれば、どんな困難に直面しても道には迷わない。
 
人の価値基準だけを頼りにしていては、その人がいなくなるとどうしてよいかわからなくなってしまう。
 
自灯明の言葉を聞いて、「天は自ら助くる者を助く」の意味を考え直すと、「自分の軸を持ったうえで、人に頼り、人とつながる努力をする者には、天が助け幸福をもたらす
こんな感じになりますでしょうか。