大人と若者・学生の対話から考えた大人って何?

【連続投稿623日目】

 

大人vs若者・学生のトークイベント※に参加しました。不肖ながら司会を務めさせていただきました。

青森、福島、福井、東京、静岡から参加した学生と大人が対話する場ってなかなかないもの。対話がないから、理解できない。理解できないから議論が極論になってしまう。極論になった議論は先鋭化し、お互いを刃で突き刺していく。こうした分断が社会をも分断してしまう。

 

そうではなく。相手を知ること。同じ土俵で、それぞれの価値観を共有し受容することから相互理解が始まる、こうした趣旨に賛同した方が26名ほど参加してくれました。

 

今ワクワクしていることはなに?夢中になっていることはなに?といった大人から若者へ、逆に若者からは充実した生活を送るためには?会社外でどんなコミュニティに参加しているの?といったソフトな質問から始まりました。

 

その後は、大人と若者の境界線は?どうなったら大人になるの?と深い質問へ。

参加している大人の皆さん自身が、答えを探す姿が画面越しから伝わってきてました。若者へ話すというより、自分と内省し、自分の人生を振り返り答えている姿。大人が大人に向けて答えているようで、自分たちの学びもなったのではないでしょうか。

 

ある大人の方が、アメリカの詩人のサミュエル・ウルマンの「青春」を紹介していました。

 

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さを言う。

青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、 熱情は、失えば心はしぼむ。 苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。 君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・喜び・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。」

 

私は、大人と若者の境界線って責任がとれるようになれば立派な大人だと思っています。逆に言えば責任を取らず逃げている人はいつまでたっても子供。でも気持ちは常に若者です。なので自分のことを「おじさん」とは決して言いません。

そして、ひとつ心掛けていること。「最近の若者は」と絶対に口にしないこと。

 

大人と若者の境界線って、本当はないのではないか。少なくとも年齢で区切られるものではないと思っています。

 

こうした場に参加する学生は、そもそも意識が高い方が多い。そして大人も受容力があり、日々前向きに行動している方ばかり。だからこそ時間があっという間に過ぎ去り、前向きな議論ができたのかなと思っています。

 

※11月27日から12月4日の8日間、30のオンラインイベントを開催しているサードプレイスフェスの28個目。

 

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