カフェから時代は創られる

【連続投稿532日目】

 

なぜパリのカフェから多くの知識人が輩出されたのか。カフェという場にどのような秘密、もとい魅力があるのか。ただのカフェを紹介する本ではない、カフェ文化研究家の飯田美樹さんの著書。

「cafeから時代は創られる」(いなほ出版 2008年)

「新装cafeから時代は創られる」(いなほ出版 2009年)

ちなみに「新装~」はアマゾンで中古30万円の値段がついていました。

 

そして今回、「カフェから時代は創られる」と改題されてクルミド出版から新たに出版されました。

 

昨日は出版記念パーティにzoomで参加しました。

19~20世紀初頭のパリ。カフェに集った革命家や芸術家の卵たち。居場所を探し求めてたどり着いた場所、カフェ。

カフェ・プロコップ。パリ最古のカフェ。カフェの原型ともなったお店です。革命期にはロベスピエール、ダントンなどが集っていたそうです。

モネ、ルノワールドガ などの印象派が集ったカフェゲルボワ。

 

こうしたカフェは枚挙にいとまがありません。

 

著者の飯田さんは、なぜカフェにこうした人材が集まったのか、解説しています。

 

それはずばり、「サードプレイス」です。

 

家庭でも職場でもない第三の場所。飯田さんは第三の場所を第三の自分、すなわち本来の自分と定義します。身分に縛られない自分。自分らしくありたい。それを何らかの形で自己表現したい。

 

そうした思いを持つ人たちがカフェに集い、新しいものを生み出す源になったのでしょう。

 

そういう意味で、チェーン店の喫茶店とカフェは一線を画しています。カフェには場づくりがうまい主人がいます。主人に名前を憶えてもらえることで、居心地が断然変わります。

 

真の居場所を求める人と、素晴らしい場が出会った時、カフェから奇跡が生まれてくる。

 

わたしにとってのサードプレイス、それはもちろん神保町のブックハウスカフェです。

 

www.bookhousecafe.jp

 

初心に帰る。

【連続投稿531日目】

このブログの第1日目の投稿内容についてこの前は聞かれたときに 、正直どういった内容を書いたのか覚えていませんでした。

言われて「あっ、そういえば書いた書いた」と思いだしたくらいで す。

1日目は、ブログを始めたきっかけを書きました。
それは、イチローが引退する記者会見を見てブログと書くことを決めたという内容。

記者会見のどういった言葉に触発された、というよりは全体から醸し出される言葉のひとつひとつに感動したこと。
そして、私が好きなイチローの言葉「とてつもないところへ行く唯一の道は、一歩一歩進むこと」
この言葉と同じようなニュアンスが、散りばめられたから。

それがトリガーとなって「ブログ始めます」と宣言したのでした。

 

それから500日以上続けているわけですが、習慣としてアウトプ ットを従来以上に意識するようになりました。当初はブログに書くためのネタ探しの 視点で物事を見ていましたがそれを超えて、ブログ以外でもアプトプットをどうしたらよいか、の視点で観察できています。その点は、毎日書いている効用なのかなと。

 

2000日以上毎日メルマガを書いている方がいます。その方が仰 っていました。

 

「積み重ねたものは誰にも負けない」と。

 

この言葉の意味が良くわかるようになりました。

情報発信は気軽に、ちょっとした勇気があれば大丈夫

【連続投稿530日目】

 

SNSは、情報発信のハードルをほとんどなくなるくらいまで下げてくれました。
誰もが自由に発信できるようになった一方で、何を発信すれば良いか迷っている人も少なからずいます。
 
自分はいろいろ活動をしたい、あるいは実際に活動しているんだけど、それをどのように発信したらよいか。せっかく発信しても誰も見てくれなかったらどうしよう、と考えなかなか情報発信することができずにいるようです。
 
しかし、誰も見てくれていなくても構わないのです。自分はこういうことを考えているということを思い切って発信する。悩んでいる時間がもったいない。時間がどんどん過ぎてしまいます。その間に他の人が同じようなことを発信してしまうかもしれません。
 
まずは発信してみる。発信し続けてみる。発信し続けていれば誰かは見てくれるようになります。みんなに共感されてなくてもよい。10人いたら2人に共感されれば十分、という気持ちで発信してみてください。
 
そうすれば道は自然と開かれます。
 

平野啓一郎 分人の考え方に共感します。

【連続投稿529日目】

 

分人。ぶんじん。

「私とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書 2012年)で提唱された考え方です。

 

www.amazon.co.jp

 

昨日の読書会で初めてこの言葉を聞きました。そのため本を読んだ直接の感想を述べることはできません。聞きかじった内容となりますので齟齬があるかもしれません。本を読んだら修正していきます。

 

分人とは。

 

そもそも本当の自分というものは存在しない。

接する相手やコミュニティに応じて、自分が変わる(会社組織での自分、家族での自分、サードプレイスでの自分・・・)。

それぞれの分人の集合体が、自分、となる。

 

確かに、会社の上司、家族、友人に対する接し方が全く同じではないですよね。おもっ苦しい鎧をかぶらないといけない状況もあれば、鎧を取ってリラックスするときもあります。

 

どの分人がよい、悪いということではありません。すべてをひっくるめて自分なので、その時々で主人公になりうる分人がいます。「あ、今日は分人Aが良く頑張ったな」自分を客観視したらこう思えることでしょう。

 

生活している環境が変わったり、ライフステージの変化で、分人の種類も当然変わります。分人の内容が変わることは決して悪いことではなく、むしろどんどん変わってよいと思います。

 

TPOに合わせて顔を変えていいんですよ。無理してすべて同じ顔である必要はありません。そうしないと息詰ってしまいます。

 

 

 

 

自由になるためには学ぶこと。

【連続投稿528日目】

 

一昨日書いた「勉強するのは何のため?」の補足です。

 

この本に、勉強するのは自由になるため、と書かれていました。できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、生きたいように生きられているという実感です。さらに、著者はこう付け加えています。「自由に生きるためには、必ず何らかの力がいる」。

 

このパートを読んだときに、真っ先に浮かんだのがパラレルキャリアでした。ひとつの会社にしか居場所がないと、どうしてもそこにしがみつかなければいけない。逃げ場がないわけです。

逃げ場がないとどうなるか。生きたいようには生きられないですよね。納得できないことも厭々やらなければいけない。

そこにパワハラやセクハラなどの嫌がらせがあったら最悪です。

 

でも、パラレルキャリアで複数のコミュニティに属したり、副業をやっているとあえて一つの場所にしがみつく必要がなくなってきます。考え方がひとつの組織に縛られることなく、自由な発想で物事を考えることができます。

 

そのためにも、自分自身に力をつけなければいけません。どういった分野でもいい。これだけは誰にも負けないものがあるはずです。

 

自分自身の戦闘能力を高めて、自由を勝ち取る。そのためにも学ぶことが必要なんです。

初めて詩集を読んでみた。「誰も気づかなかった」長田弘。

【連続投稿527日目】

 

初めて詩集を読みました。

 

「誰も気づかなかった」(長田弘 みすず書房 2020年)。

www.amazon.co.jp

 

今まで詩集は敬遠していました。余白が多い。読んだ感覚がしない。そもそもわからない。

 

昔国語の時間で、詩の授業があり、みんなで音読したり、解釈について学んだりしました。その授業が本当に面白くなくて苦手意識が植え付けられたままでした。

 

それから長い読書人生の中で、詩集は一番遠い存在でした。食わず嫌いですね。

 

今回、読書会の課題図書が詩集と聞いて、意を決して読むことになったのです。

 

最初の感想。

やはり、余白が多い。刺さらない。あっという間に読み終わった。

これでどうやって読書会で議論すればいいんだろう。

 

その後何度も読み返していくうちに、詩のひとつひとつ、一文字一文字が自分に問いかけてくる感覚を持つようになりました。

そして、余白にも何か字が書いてあるような、著者の思いが込められているような、何かが浮き上がりそうな気がしました。

 

読書する際に、気になった文章には線を引いたり、メモ書きしています。

しかし詩集を読んでも、メモ書きできませんでした。余白と最小限の言葉で紡がれた世界観を、ペンで汚してはいけない。そこに異物が入ることで詩の世界観が壊れてしまうように感じたからです。

 

こうした読書体験は初めてでした。

 

国語の授業と違って、詩の解釈は無限です。たった数行、数文字を入り口にして、その奥には言葉の宇宙が広がっています。

 

今まで食わず嫌いだったことを後悔しました。

 

勉強するのは何のため?

【連続投稿526日目】

 

正解のない問いに「答え」を出す。

 

「勉強するのは何のため?」(苫野一徳 2013年 日本評論社)。ある意味永遠のテーマでもあるなぜ勉強するのか、について著者なりの解を示しています。

 

絶対的な正解ではなく、自分にとっての「正解」を見つけること。

自由になること。できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、生きたいように生きられるという実感。

お互いがお互いに、相手が自由な存在であることを、まずはいったん認め合うこと。

 

答えのない時代に生きる我々にとって、示唆に富む内容です。

 

自分にとっての正解を見つけるために、思考のワナから抜け出すことが大切だと著者は主張します。それは「一般化」。このブログでもよく書いていますが、二項対立もその一つです。二項対立の議論でどちらに正解があるか、ではなく第3の道やその両方を満足させる解を模索することが必要だと思っています。

一般化の問いに縛られず、問いを解釈しなおしそこに自分なりの「答え」を見出すこと。それができるようになるために学ぶ。

 

素敵な一冊です。