書評のようで書評ではない「蜜蜂と遠雷」

【連続投稿115日目】

 

音楽の授業が嫌いでした。

先生が弾くピアノの前にクラス全員が集まって、歌がうまい、声が大きい人から席に戻ってよいという授業で、必ず最後まで残されていました。レコーダーでは、一人ひとり前に立って演奏させられました。これも上手い下手が如実のわかりますよね。その場で先生が評価をするわけです。当然私は下手な部類に入るため、みんなの前で酷評されます。

こんな経験をしたからか、音符が読めません。音楽を解釈するとか、よくわかりません。

そんな私が意を決して読んだのが「蜜蜂と遠雷恩田陸著。直木賞本屋大賞ダブル受賞。何より作家が音楽をどのように表現するのか興味がありました。

 

3年毎に開催される芳ヶ江ピアノコンクールが舞台です。

 

「まるで、雨のしずくが己の重みに耐えかねて一粒一粒たれているような」

「音が尋常でなく立体的なのだ」

「素朴なのに官能的で、一種扇情的ですらある」

「ステージ上の大きな直方体の空間全体から、音の壁が飛び出してくるかのようだ。」

「観客は、その音圧に、飛び出してくる音楽に吹き飛ばされまいと、席で踏ん張って必死に耐えている。(中略)正面から剛速球で顔を、眼を、耳を、全身を打ってくる」

 

主人公の一人風間塵の演奏を表現したフレーズです。

このような表現が至る所に出てきます。

 

楽譜を読み、その通りに弾いただけでは本当に「弾いた」とは言えません。作曲者の人生、時代背景、その曲ができた当時の作曲者の考え方、生活などを踏まえ自分ならこの曲のこの部分をこう解釈する。そしてそれをピアノという楽器を通して表現する。

 

そのような異次元の世界を垣間見たと同時に、恩田さんの表現力の素晴らしさにのめりこまれ、500ページ、上下2段というボリュームを感じさせませんでした。