中村哲氏の「アフガニスタンの診療所から」

【連続投稿360日目】

 

農業専門家・中田正一先生。「風の学校」を主宰、その反省をアジア農村の農業改良にささげられました。

良く話をされていたエピソードが以下です。

 

「ある時、三人の若者が山の中で吹雪に会い、遭難しそうになった。Cくんはぐったりして動けなくなった。途方にくれたA君、B君のうち、A君は頭の良い人で、このままでは皆が危ない。僕が一人で先に様子を見てくる、と言って2人を置いて身軽に行ってしまった。ところが、待てど暮らせど戻ってこない。残されたB君は、まあ仕方がない。ともかく凍えるよりはと、倒れたC君を背にしてとぼとぼと雪の中を歩き始めた。幸いB君もC君も救助隊に助けられたが、途中で彼が遭遇したのは、なんと先に一人で進んだA君の死体だった。その時、B君が電工のように悟ったことがある。僕はC君を助けるつもりで歩いてた。だが実は背にしたC君の体の温もりで温めあい、自分も凍えずに助かったのだ」
(中田正一 「国際協力の新しい風」岩波新書


人のために何とかしてやるというのはいつわりだ。線所ではなく、共に生きることだ。それで我々も支えられるのだ。というのが先生の持論だった。
「現地は外国人の活動場所ではなく、共に歩む協力現場である。」(中村哲アフガニスタンの診療所から」ちくま文庫 P193)

 

安易に「支援」という耳障りの良い言葉を使ってはならない。共に歩む覚悟があるかないか。伴走する本質を突いた言葉に、我が意を得たり、と思いましたよ。