【連続投稿513日目】
オーストラリア在住の方とzoomでお話しする機会がありました。
印象的だったことがあります。
「シドニーでは、この子は自分なら○○させることができます。と言い切る。でも日本では責任回避のためか、断言しない。この違いは何だろう?」
日本では、断言してもしできなかったら責任をどう取るつもりか。誰が責任を取るのか。こうしたクレームが行政や親から来るそうです。
シドニーの場合、実力主義、結果主義なので目標に対するコミットをしっかりと行う背景があるのでは、とその方はお話ししていました。
事なかれ主義の教育、空気を読む人が重宝がられる社会、組織文化。そうした環境と目に見えない同調圧力が、自分ならできる、と断言することを拒んでいる気がしてなりません。
会社を見てても、よくあります。そんなこと言ってどう責任取るんだ?と。
それを言ったら、何も新しいことはできません。行動してみて失敗しながら経験を積みその上で自信が生まれてくる。そうした芽をもぎ取っている。社会全体が委縮している気がしてなりません。