3.11に思う。教訓を伝える難しさ

【連続投稿720日目】

 

また、この日がやってきました。3月11日。東日本大震災から10年。

 

「毎年、この日が近づくとメディアがやってくるが、遺族にとっては毎日が3.11なんだよ」

 

津波で家族を失ったある被災者は言いました。

 

特に今年は10年。様々なところで「10」がもたらすニュアンスの影響で、ひとつの区切りのように報道されています。しかし、遺族にとって、復興に携わる方々にとって、区切りなどあろうはずがありません。

 

東北は忘れても良いけど、教訓は覚えていてほしい。

 

これも、津波で両親、子供二人を亡くした遺族が発した言葉です。

 

2015年9月。関東・東北豪雨で鬼怒川が決壊しました。その時、レスキュー隊に救助される男性の映像を見て、上述した遺族は怒りを覚えたそうです。

「大雨が来るとわかっていて、なんでそんな場所にいたんだ?前の晩から雨が降って避難が必要だったのに?」「これでは東北の教訓が全く課されていないではないか?震災で亡くなった2万人の命は何だったのか」

 

このエピソードを聞いた中学生は、感想文に「被災者を二度苦しめたくない」と書いたそうです。

つまり、実際に3.11で被害を受けたこと。その教訓が生かされずに災害が繰り返されること。

毎年、3.11が近づくと風化させないように「忘れない」キャンペーンで盛り上がります。それはそれで大事。しかし本当に残って欲しいことは「教訓」なんだ、とこの方は力説します。

 

同じことを繰り返してほしくない。そのこともあまり届いていないのではないか。響いていないのではないか。

それでも、受け手に対して工夫しながら伝えていく。

 

忘れない、以前にまだまだ知らないことがたくさんあります。それを知って、共有する。そして現地に行き、自分の目で見る。またそれを共有する。この繰り返しを地道に続けていくしかないのです。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

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