仏教用語および京セラフィロソフィから。

【2月3日 連続投稿1836日目】

 

小善は大悪に似たり大善は非情に似たり。
 
仏教用語で、京セラフィロソフィにも掲載されている言葉です。
 
かわいがることは良きことではあるが、それは甘やかすだけの愛情でありとんでもない大悪をもたらす。厳しい経験をさせることで子供は立派に育つ。
 
例えば、おもちゃを買って買ってと駄々をこねられたから、買ってあげて子供が笑顔になる、これはその場の「小善」。目先の良いことですが、それを重ねてしまうと将来わがままな人になってしまう。
 
仕事でも同じです。
目先の課題解決ばかりを行っていると、将来気付いたときに目の前が崖になっている可能性がある。将来どういった方向に向かいたいか明確にしてから、目先のことに取り組むと方向性を見失わなくなります。
 
似たような言葉に、「着眼大局着手小局」があります。先をしっかり見通しましょうということですね。